ストレイ シープ/ヒポクラテスたち

こんにちは。
心理相談室 LAUNDRY カウンセラーの村本大志です。

今日は曇り空の日曜日。
いかがお過ごしでしょうか。

先日、情報番組で偏頭痛の専門医が
この時期にスイカを食べるといいとお話しされていました。
利尿作用がいいらしい。
それと午後三時に微糖の珈琲を飲むのもいいと。

簡単にできるので心がけてみようと思います。

缶コーヒーは嫌いなので
普通の珈琲にいつもは入れない砂糖を入れてみます。

太らないといいけど・・。

大森一樹さんという映画監督がいます。
お医者様の資格もお持ちという珍しい監督なのですが80年代に(僕的には)名作を連発していました。
中でも僕が数年おきに見返しているのが『ヒポクラテスたち』という医学生たちの研修中の姿を青春偶像劇に仕立てた映画で、いつ見ても傑作だなぁ・・と思います。

脚本や配役もいいのですが、そこに醸し出される社会に出る寸前の若者たちの葛藤が普遍的です。

題材がたまたま医学生というだけで他のどの職業にも通じるためらいと不安と意気込みがあり、これから長く続く人生への恐れと希望が描かれています。

時代のせいか、多少の諦観があり、それもまた映画の背景になっています。
終わってしまった70年代と始まったばかりの80年代の気分が映画の匂いとなっているのです。

2000年を最後にそういうくっきりとした気分の変化みたいなものはなくなっているような気がするのですが、それは僕が年を重ねたせいなのか、そうでもないのか、よくわかりません。

まぁ、とにかく『ヒポクラテスたち』に出てくる若者は皆、迷っています。
夏目漱石が書いたように見事に<ストレイ・シープ>です。
まるで迷っているのが若者の特権であると言っているかの様です。

映画の中で迷うのは若者の特権であり、出て来る大人たちは(医者が多い)迷ってはいません。
目の前の患者さんに確信を持って淡々と向き合っています。

今、見ると若い頃に見た感想とはかなり違います。

つまり、現代では迷っている期間が圧倒的に長くなったのです。
いつまで迷えばいいのか、いつになったら人生の落としどころが見つかるのか
それが分からずに苦しみ、悩み続けるのが現代なのかもしれません。

通過儀礼を失くした我々の日常は
膨大な情報とめまぐるしいスピードで過ぎる日々の中
自分自身でイニシエーションを作り、自分自身で生き方を見つけなくてはなりません。

あるべきカタチがなくなったのです。

型がないということは大変不安なものです。
もちろん型に縛られることもない自由もあります。

僕たちは自分で大人にならなくてはいけない。
それは以前より大変なことです。
葛藤や逡巡や反発や・・その他諸々の若者らしい感情は一巡りさせた上で
自分たちで階段を上らなくてはならないのです。

大変なことだと思います。

迷ったとき、それは考えるチャンスです。
自分の人生を考え、実行していくチャンスです。

もやもやとした感情が胸の中にあるときこそ
それを言葉にして具体的に整理していきましょう。

いつでもお手伝いさせてください。

時間は何もしなくても過ぎていく

こんにちは。
心理相談室 LAUNDRY 心理カウンセラー 村本大志です。

5月が終わりました。
晴れているのも後少し。
梅雨がもうすぐやってきます。

曇り空や雨模様だと気圧が下がり
なんとなく身体がだるいこと多々あります。
体調にはお気をつけ下さい。

ところで、なにか年頭にやってみようと思われたこと
手をつけたことはありましたでしょうか。

もしまだでしたら、この時期に小さなことから始めてみるのはいかがでしょうか。

やってみようかなと思っていたことに
手を付けずにいる時って
やらない理由や、やれない理由を
自分のなかに探しているようなところがあります。

僕自身もそういうところが多々あり
ついつい手を付けられないでいることがいくつもあります。

でも、そのうちのひとつを始めたことで
面倒くさいことももちろん多々ありながらも、始めたことで得る喜びや出会いの方が
多いのです。

物事には100対ゼロなんてないのだから
何か新しいことを始めたらプラスの面ばかりでなくマイナスの部分だって同時にあります。

そのマイナスの面にばかり捉われると
なかなか始められないし、やはりそこはプラスの面に目を向けるよう意識しないといけない。     そうしないとマイナスの面って引きが強いからそこに引っ張られる。

そんな風に思います。
あくまで体験的にですが。

それで思うのは「何もしなくても時間は過ぎていく」ということ。

だったら、なんかやってみる方が
よくありませんか?

何もだいそれたことでなくてもいいと思うのです。

趣味でも運動でも。

服や本の趣味をいつもと少し変えてみることでも。

続かなかったら、それはそれでいいんじゃないでしょうか。

窓を閉め切った状態より
窓を開けて風を入れてみる・・そんなイメージです。

止まっていた風車(かざぐるま)が少し回り始めるように
ほんの少し、生活の中に日常の中に新しい風、吹かせてください。

風は外から吹いてきます。
窓を少し開けてみるのは、あなた自身です。

(2)人生はあなたにやさしい?

こんにちは。
心理相談室 LAUNDRY カウンセラーの村本大志です。

もう少し、「家族の庭」について考えてみます。

この映画で描かれている主人公の周りの登場人物たちの人生はどれもあまりうまくいっていません。

まるでうまくいかないのが人生だといっているようです。

そのうまくいっていない彼らの人生の断片を見ているだけで、こちらの胸はしめつけられます。
特別悪人ではないけど、どこか調子がおかしい人・・身の回りにいくらでもいそうだし、実際自分が誰かにとってそうかもしれないのです。

時々考えるのですが、人生のある地点に何か別れ目みたいな、あるいはポイントみたいなものがあったとして、そのことも自分で自覚していた時、我々はいつだってそこに立ち戻って道を修正できると思っています。そのポイントはまだ目で見えています。たとえ、道がずれても、あえて、そうしたのだという自覚とともに。しかし、道は時間が過ぎるごとにそのポイントから少しづつ外れ、10年も経つとそのポイントがどこであったかすら景色が変わり過ぎて見えなくなってしまう。そしていろんな記憶すら曖昧になってしまう。

自分でもその時になって思うのです。いったいオレはどこで間違ったんだ?

あるいは選択の集積。
何かの小さな選択をするごとに白い紙に書かれた道が進み、左へ左へ。時に上へ。選んだ矢印はどんどん検討外れの方向へ向かいます。いつしか紙を足して足して、時間軸と選択からなる折れ線グラフは地図のないところまで進んでしまう。選択の数があればある程、複雑に道が枝分かれしてしまい、最初にした選択すら何だったのか思い出せない。

「人生はあなたにやさしい?」

主人公は扱いに困っている友人に向けて、そう言います。言われた方は一瞬考えた後「ええ、もちろんうまくいってるわ。何の問題もない」と見栄を張ってごまかすように答えます。見ているこちらは、彼女がそんなことないのを知っているので辛くなります。まるで自分が主人公の女性に聞かれてそう答えたかのように。

でもそこで、思うのです。
本当のことなんていえるわけないじゃない、と。

あるいは、そこで彼女が「ええ、うまくいってない、むしろ最悪だわ。このままじゃどうやって生きていっていいかわからないの」と素直に答えていたら、と。

この映画の秀逸なところは、周囲にいる誰か、親戚の誰か、あるいは自分自身の中の一部が、登場人物の誰かにそっくりなところかもしれません。

誰の人生もうまくなんかいってないよ、マイク・リー監督のこの映画を通して言いたかったことは、実はそんなことなのかしら、とふと思ったのです。

人生がうまくいく、とはどういうことか。
人によって価値観は違います。

「自分の人生に責任を持たなくちゃ」と、主人公は最後の方で困った友人に伝えます。彼女は主人公にとても依存しているのです。

ラストのショットをどう受け止めるのか、見る人の感じ方でいかようにも解釈ができるように監督は映画を終えます。

僕には絶望ではなく希望が感じられました。

きっと彼女は自分の人生を作るのは(変えられるのは)自分でしかないと、もうすぐ気づくから、そして変わろうとするから、それが感じられたからだと思います。

『 人生はあなたにやさしい? 』

こんにちは。
心理相談室 LAUNDRY カウンセラーの村本大志です。

葉桜です。
花びらの絨毯、花びらが舞う中、自転車で走るのが好きです。

それも明日が最後かなと思うと少々寂しいですね。

『 人生はあなたにやさしい? 』

マイク・リー監督の映画『 家族の庭 』で主人公の女性が職場の同僚に投げかけるさりげないセリフです。

マイク・リー監督の作品はどれも人生のきびしさや生活の苦しさと英国の市井の人々を描くのがとても上手な方で、僕は大好きな監督です。

この『 家族の庭 』では四季とともにある初老の夫婦の元に訪れる少しこじれた人生を送る友人や親戚が訪れ去っていく様子を淡々と描いています。夫は地質層学者、妻の方は病院勤務の心理カウンセラーという設定です。

妻の職場の自意識過剰なバツイチの独身女性(多分40代)、夫の友人の極端に太った独身の中年男、妻を失くした偏屈な兄、30歳の息子にやっとできたやたら陽気なGF・・。

『 人生はあなたにやさしい? 』このセリフは実にさりげなく会話の中で主人公の口から発せられ、登場人物と同じように見ているものをはっとさせられるのです。

この初老の夫婦は実に安定した精神状態の設定です。
そこに集まる人々の人生がほころび、あるいはほころびかけると皆、この夫婦の元に訪れ心情を吐露し、また自分の人生に向き合うのです。

考えてみるとこの映画には若い人が出てきません。
息子カップル以外、あとは中高年ばかりです。

それでも、というより、だからこそ自分の人生に惑い、打ちのめされ、傷つき、安定したふたりの元を訪れるのかもしれません。

この辺り、マイク・リー監督は登場人物との距離感がとてもよく、優しすぎもせず、突き放しもせず、どちらかと言うと見守っているような演出です。

少し痛いけど、しみじみと心に染みるいい映画です。

果たして「人生はあなたにとってやさしいですか?」と誰かに聞かれたら、あなたはどう答えるでしょう。

僕なら・・どうか・・?
今夜、ゆっくり考えてみようと思います。

論理的枠組みにおいて無関心でいること。

こんにちは。
心理相談室 LAUNDRY カウンセラーの村本大志です。

二日続きの夜の小雨でだいぶ桜が散ってしまいました・・。

カッパドキアを舞台にした『雪の轍』というトルコの映画のワンシーンにこんな下りがあります。

「悪に抗わないとはどういう意味だと思う?解釈を聞かせて。論理的な定義を聞いているのよ。」
妹に、そう聞かれた初老の男はこう答えるのです。

「 論理的枠組みにおいて無関心でいること 」

薄暮から夜へ移ろうとしていた時間に、世田谷駅から梅が丘に向かう一本道を自転車で走っていました。
昼間の温かさが嘘のように急に冷え込み、花冷えというのかな・・などと思っていたとき、前方の歩道に小さな男の子が見えました。
広い歩道の真ん中にぽつんとひとりです。親らしきひともありません。
前を走る数台の自転車は皆通り過ぎていきます。
一瞬、自分にしかこの子は見えていないのじゃないかと思いました。
それくらい周りはその子の存在を無視していたのです。誰も振り返りもしないし止まらない。
自転車が近づくにつれ、その子がちゃんと実在して、泣いているのがわかりました。
僕は余計に自分にしか見えてないとの思いが強くなります。
だって、5歳か6歳かくらいの子どもが暗い夜道でひとりで泣いていたら停まらないまでもすれ違いに少しくらい振り返りませんか。

その子の横で自転車を停めると「どうしたの?」と聞きました。
その子は泣きながら「帰ってくるなと言われた・・」と言いました。
「そうかぁ、それは困ったね。お家は近いの?」
「うん・・」
「ママは?お家までの道はわかる?」
「うん・・」
「じゃぁ、大丈夫?ひとりで帰れる?」
「まだ帰ってくるなって言われた・・」
なんか嫌な予感がしてしまいました。
いくつかのパターンをシュミレーションしながら、間が持たずに「飴、食べる?」と聞きました。
鞄の中にレモンドロップがあったから。
その子は小さく頷きます。
僕が箱から一粒出して取らせてやると、その子は恐る恐る飴を取り出しました。送っていくか・・と思いかけていた時、かなり後ろの方から「そこのひとーっっ!」という子どもの声が聞こえました。少年がすごい勢いで走ってきて「何してるんだ?」と言うのです。
泣いていた子のひとつふたつ年上でしょうか。
「ひとりで泣いていたから、どうしたのって聞いたんだよ」というと、なぜかすごく僕に対して怒っているのです。僕のあげた飴にも怒り、それを食べた(すごい勢いでぎゅっと握りしめた小さな飴を口に隠すようにして食べた)多分、弟にも全力で怒っています。
まるでひとり言の大声のように「知らない人から食べ物をもらうなんて!」と子どもらしい遠慮のない生っぽい言い方で、オーバーに天を仰ぎ、地団駄を踏みます。

僕は少々、その子の言い分に腹が立っていました。
だったら弟の面倒くらいちゃんと見ておけよ、と。

やがて、後ろの方から「すいませーん!」という母親(多分)の声と猛スピードの自転車がやって来るのが見えました。
僕は「大丈夫でーす!」と手を振り返して、じゃあね、とふたりを残して坂道に向かいました。

多分、僕は「虐待」を想像し
兄と母親は「誘拐」を想像し

それぞれ善意ではなく悪意寄りの事態を想像していたのです。

テレビのニュースで繰り返される子ども絡みの嫌なニュースに洗脳されているから。

そして、それが特別なニュースではないと知っているから。

暗くなりかけた街灯の少ない道で子どもがひとりで泣いている時・・それを偶然通りがかって見かけたら、2016らしい大人の振る舞いってなんだろう?そんなことを考えながら坂道を上りました。

多分、僕はあの子に余計なことをしたのでしょう。

間をつなぐのに飴をあげました。
母親にその子のことを怒らないでくださいね、と言わずにその場を去りました。

あの子が、あの後、母親にひどく怒られませんように。
それだけを思いました。

『 ママに、まだ帰ってくるなって言われた・・ 』

夜道で出会った泣いている子どもに、そう言われたら、あなたはどうしますか?

『マイ・インターン』が教えてくれること

こんにちは。
心理相談室 LAUNDRY カウンセラーの村本大志です。

今日は寒の戻りですね。
やたら寒いです。

そんな日にぴったりの心がほっこりする映画のお話。

アン・ハザウェイとロバート・デ・ニーロの主演する『マイ・インターン』は口当たりのいい映画を装いながら
なかなか含蓄に満ちた映画になっています。同じ題材でマイク・リーが脚本を書いて撮ったら、どんよりする話になりそうな内容ですが
そこは『恋愛適齢期』などを撮ったナンシー・マイヤーズ監督。人生の苦さも描きながらも、ふとした余韻が残る仕上がりは見事です。

この映画に出てくる登場人物は、ほぼ全員なにかしらささやかな問題を抱えています。
それが少しづつデ・ニーロ扮する70歳の新人インターンとの関わりの連鎖でいい方向へ流れが変わっていくのですが・・・。

まぁ、それが微笑ましく見事な脚本とキャストの演技で命が吹き込まれていくのです。
散りばめられた登場人物たちのささやかな苦悩はそのまま私たちの苦悩であり、それが滑稽で愛おしく見えるのは
作り手の人生観が反映されているからなのかもしれません。

つまり、端から見ればささやかな悩みであっても当の本人にしてみると深刻な問題であるという視点です。
ですので、その問題に向き合えば向き合うほど映画はコメディ・ライクになっていくのです。
悲劇的で喜劇的な日々の暮らし、その集積が人生だと『マイ・インターン』が伝えてくれます。

僕の一番好きなシーンは真ん中後半あたりに女社長と70歳のインターン氏が残業中に少し心を割って話すところです。
後々考えるととても深みがある会話になっています。

『タクシードライバー』や『ディア・ハンター』等で1970年代の病めるアメリカの姿を体現していたデ・ニーロが、いまこうして飄々とW主演をこなしている様も隔世の感があり味わい深いです。

口当たりのいい映画なのに
よくよく考えると現代の様々な問題を提示して
そしてこの映画内で私の登場人物たちはこう生きています、とささやかな解決を見せる。
その手腕はまさに2015年的な映画手法なのかもしれません。

週末の夜など、いい時間が過ごせると思います。