こんにちは。
心理相談室 LAUNDRY カウンセラーの村本大志です。
もう少し、「家族の庭」について考えてみます。
この映画で描かれている主人公の周りの登場人物たちの人生はどれもあまりうまくいっていません。
まるでうまくいかないのが人生だといっているようです。
そのうまくいっていない彼らの人生の断片を見ているだけで、こちらの胸はしめつけられます。
特別悪人ではないけど、どこか調子がおかしい人・・身の回りにいくらでもいそうだし、実際自分が誰かにとってそうかもしれないのです。
時々考えるのですが、人生のある地点に何か別れ目みたいな、あるいはポイントみたいなものがあったとして、そのことも自分で自覚していた時、我々はいつだってそこに立ち戻って道を修正できると思っています。そのポイントはまだ目で見えています。たとえ、道がずれても、あえて、そうしたのだという自覚とともに。しかし、道は時間が過ぎるごとにそのポイントから少しづつ外れ、10年も経つとそのポイントがどこであったかすら景色が変わり過ぎて見えなくなってしまう。そしていろんな記憶すら曖昧になってしまう。
自分でもその時になって思うのです。いったいオレはどこで間違ったんだ?
あるいは選択の集積。
何かの小さな選択をするごとに白い紙に書かれた道が進み、左へ左へ。時に上へ。選んだ矢印はどんどん検討外れの方向へ向かいます。いつしか紙を足して足して、時間軸と選択からなる折れ線グラフは地図のないところまで進んでしまう。選択の数があればある程、複雑に道が枝分かれしてしまい、最初にした選択すら何だったのか思い出せない。
「人生はあなたにやさしい?」
主人公は扱いに困っている友人に向けて、そう言います。言われた方は一瞬考えた後「ええ、もちろんうまくいってるわ。何の問題もない」と見栄を張ってごまかすように答えます。見ているこちらは、彼女がそんなことないのを知っているので辛くなります。まるで自分が主人公の女性に聞かれてそう答えたかのように。
でもそこで、思うのです。
本当のことなんていえるわけないじゃない、と。
あるいは、そこで彼女が「ええ、うまくいってない、むしろ最悪だわ。このままじゃどうやって生きていっていいかわからないの」と素直に答えていたら、と。
この映画の秀逸なところは、周囲にいる誰か、親戚の誰か、あるいは自分自身の中の一部が、登場人物の誰かにそっくりなところかもしれません。
誰の人生もうまくなんかいってないよ、マイク・リー監督のこの映画を通して言いたかったことは、実はそんなことなのかしら、とふと思ったのです。
人生がうまくいく、とはどういうことか。
人によって価値観は違います。
「自分の人生に責任を持たなくちゃ」と、主人公は最後の方で困った友人に伝えます。彼女は主人公にとても依存しているのです。
ラストのショットをどう受け止めるのか、見る人の感じ方でいかようにも解釈ができるように監督は映画を終えます。
僕には絶望ではなく希望が感じられました。
きっと彼女は自分の人生を作るのは(変えられるのは)自分でしかないと、もうすぐ気づくから、そして変わろうとするから、それが感じられたからだと思います。