自分と違う意見を受け入れられないときに・・

こんにちは。
心理相談室 LAUNDRY カウンセラーの村本大志です。

九州地方の大地震で被害に遭われた方々に心より御見舞い申し上げます。

毎日報道されるニュースに心を痛めております。

もし、おひとりでいらっしゃる時に、不安に思ったり
周囲には気を遣ってしまい言いづらいことを胸の内に溜めていたり・・等、ございましたら
メールでもお電話でもお手透きのとき、心が求めたタイミングでいつでもご連絡ください。

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さて・・当たり前ですが、自分の考えを持つことはとても大切なことです。

しかし、それに縛られてしまうと生きにくくなります。

皆さんもそんなことはご承知だと思います。

それでもやはり我々は自分の考え(あるいは価値観)に捉われてしまいます。

人は人。自分は自分。と割り切れないのもまた人情なのです。

ある意味、人情に厚い人ほど、捉われやすいのかもしれません。

急行列車のスピードもありがたいけど
各駅停車にしか見えない風景もある。

先日もそんなことを感じることが私自身ありました。

そのときは、スピード感ないよなぁ・・とイラッと思ったのですが、家に戻ってぼんやりと出来事を反芻してみると、反対の考え方も浮かびました。

その変わらなさがいいのかもしれないなぁ、と。

スピードを求められる時代です。
みんな時代の変化に乗り遅れないように必死です。

でも、ずっとそんなこと続けていたら疲れてしまいます。

もちろんお仕事の最前線では、そういう判断が求められることばかりかもしれません。

それでも、一呼吸いれてみては頂けないでしょうか。

ちょっと別の角度から物事を客観的に眺めてみていただけないでしょうか。

問題の渦中にあれば、そうもいかないこと重々承知しております。

争い事は何も生み出しません。

意見の合わない方と距離を取るのもひとつの手かもしれません。

論破してもその人の考え方は、そう簡単に変わらないのです。

相手の方も同じことを考えているのですから。

いつしかその人の意見を変えることが目的にすり替わってしまうこともよくあります。でもそんなことをしても無意味です。

あなたが、穏やかな気持ちでいられることの方がずっとずっと大切なのです。

ストレスを感じる原因の多くは対人関係です。

ですから、その対処の仕方で我々の気持ちの在り様は大きく変わります。

関わりを断たないでいながら、振り回されない・・時々、口の中でつぶやくくらい大事だと思います。

ストレス、なるべく溜めずに

時々、吐き出してくださいね。

不安で落下していくような感覚

こんにちは。
心理相談室LAUNDRY カウンセラーの村本大志です。

昨夜は熊本で大きな地震がありました。
彼の地にお住まいの方々、お知り合いのいらっしゃる方々には御見舞い申し上げます。

つくづく、自然の予測できない行動には抗えないのだなと痛感致します。

人はその大きなうねりに翻弄され続けるのでしょうか。

ニュース映像を見ながら、無力感と驚きに苛まれています。

あなたは『不安で落下していくような感覚』に襲われたことはないでしょうか。
胸が締め付けられたり、ドキドキしたりするような、感じです。

とても苦い感覚なので、あまり味わいたくないですよね。

人間の心には見えない器のようなものがあって、そのなかに溜まった水がちゃぽちゃぽ揺れたり、溢れたりするんじゃないのかなぁと想像するのですが、それを数値で計っても計りきれないので困ってしまいます。もしかしたら脳波とか心電図でみればある程度測れるのかもしれませんけど。

ほとんどの場合、そういう感情になるのには原因があります。
もちろんひとつとは限りません。

ひとつの原因は、別の原因につながっていて、それはまた他の原因につながっている。

そうやって複雑に絡まった糸が人を不安にさせるのではないでしょうか。

もちろん、その中のひとつが解決したら絡まった糸が解けるように他のものも解けるかもしれません。解けないかもしれません。

しかし問題は漠然と絡まったひとつひとつの絡まりを丁寧に解すことしかないようにも思えます。

それは多少面倒だし、心的エネルギーも時間もかかるかもしれませんが、そうしないことにはずっと絡まったまま・・。

絡まりのポイントを一緒に探して、話し合いながら丁寧に解すこと。
それがランドリィーにできることのひとつです。

モヤモヤとした不安。
誰しも多かれ少なかれ抱えていることです。

そこに大小はありません。

ゆっくり時間をかけて対話することで、その原因と解決の糸口がみつかりますよう、お手伝いさせていただきます。

晴れた日には、そんな風にご自身に向き合うのもいいかと思います。

(2)人生はあなたにやさしい?

こんにちは。
心理相談室 LAUNDRY カウンセラーの村本大志です。

もう少し、「家族の庭」について考えてみます。

この映画で描かれている主人公の周りの登場人物たちの人生はどれもあまりうまくいっていません。

まるでうまくいかないのが人生だといっているようです。

そのうまくいっていない彼らの人生の断片を見ているだけで、こちらの胸はしめつけられます。
特別悪人ではないけど、どこか調子がおかしい人・・身の回りにいくらでもいそうだし、実際自分が誰かにとってそうかもしれないのです。

時々考えるのですが、人生のある地点に何か別れ目みたいな、あるいはポイントみたいなものがあったとして、そのことも自分で自覚していた時、我々はいつだってそこに立ち戻って道を修正できると思っています。そのポイントはまだ目で見えています。たとえ、道がずれても、あえて、そうしたのだという自覚とともに。しかし、道は時間が過ぎるごとにそのポイントから少しづつ外れ、10年も経つとそのポイントがどこであったかすら景色が変わり過ぎて見えなくなってしまう。そしていろんな記憶すら曖昧になってしまう。

自分でもその時になって思うのです。いったいオレはどこで間違ったんだ?

あるいは選択の集積。
何かの小さな選択をするごとに白い紙に書かれた道が進み、左へ左へ。時に上へ。選んだ矢印はどんどん検討外れの方向へ向かいます。いつしか紙を足して足して、時間軸と選択からなる折れ線グラフは地図のないところまで進んでしまう。選択の数があればある程、複雑に道が枝分かれしてしまい、最初にした選択すら何だったのか思い出せない。

「人生はあなたにやさしい?」

主人公は扱いに困っている友人に向けて、そう言います。言われた方は一瞬考えた後「ええ、もちろんうまくいってるわ。何の問題もない」と見栄を張ってごまかすように答えます。見ているこちらは、彼女がそんなことないのを知っているので辛くなります。まるで自分が主人公の女性に聞かれてそう答えたかのように。

でもそこで、思うのです。
本当のことなんていえるわけないじゃない、と。

あるいは、そこで彼女が「ええ、うまくいってない、むしろ最悪だわ。このままじゃどうやって生きていっていいかわからないの」と素直に答えていたら、と。

この映画の秀逸なところは、周囲にいる誰か、親戚の誰か、あるいは自分自身の中の一部が、登場人物の誰かにそっくりなところかもしれません。

誰の人生もうまくなんかいってないよ、マイク・リー監督のこの映画を通して言いたかったことは、実はそんなことなのかしら、とふと思ったのです。

人生がうまくいく、とはどういうことか。
人によって価値観は違います。

「自分の人生に責任を持たなくちゃ」と、主人公は最後の方で困った友人に伝えます。彼女は主人公にとても依存しているのです。

ラストのショットをどう受け止めるのか、見る人の感じ方でいかようにも解釈ができるように監督は映画を終えます。

僕には絶望ではなく希望が感じられました。

きっと彼女は自分の人生を作るのは(変えられるのは)自分でしかないと、もうすぐ気づくから、そして変わろうとするから、それが感じられたからだと思います。

『 人生はあなたにやさしい? 』

こんにちは。
心理相談室 LAUNDRY カウンセラーの村本大志です。

葉桜です。
花びらの絨毯、花びらが舞う中、自転車で走るのが好きです。

それも明日が最後かなと思うと少々寂しいですね。

『 人生はあなたにやさしい? 』

マイク・リー監督の映画『 家族の庭 』で主人公の女性が職場の同僚に投げかけるさりげないセリフです。

マイク・リー監督の作品はどれも人生のきびしさや生活の苦しさと英国の市井の人々を描くのがとても上手な方で、僕は大好きな監督です。

この『 家族の庭 』では四季とともにある初老の夫婦の元に訪れる少しこじれた人生を送る友人や親戚が訪れ去っていく様子を淡々と描いています。夫は地質層学者、妻の方は病院勤務の心理カウンセラーという設定です。

妻の職場の自意識過剰なバツイチの独身女性(多分40代)、夫の友人の極端に太った独身の中年男、妻を失くした偏屈な兄、30歳の息子にやっとできたやたら陽気なGF・・。

『 人生はあなたにやさしい? 』このセリフは実にさりげなく会話の中で主人公の口から発せられ、登場人物と同じように見ているものをはっとさせられるのです。

この初老の夫婦は実に安定した精神状態の設定です。
そこに集まる人々の人生がほころび、あるいはほころびかけると皆、この夫婦の元に訪れ心情を吐露し、また自分の人生に向き合うのです。

考えてみるとこの映画には若い人が出てきません。
息子カップル以外、あとは中高年ばかりです。

それでも、というより、だからこそ自分の人生に惑い、打ちのめされ、傷つき、安定したふたりの元を訪れるのかもしれません。

この辺り、マイク・リー監督は登場人物との距離感がとてもよく、優しすぎもせず、突き放しもせず、どちらかと言うと見守っているような演出です。

少し痛いけど、しみじみと心に染みるいい映画です。

果たして「人生はあなたにとってやさしいですか?」と誰かに聞かれたら、あなたはどう答えるでしょう。

僕なら・・どうか・・?
今夜、ゆっくり考えてみようと思います。

論理的枠組みにおいて無関心でいること。

こんにちは。
心理相談室 LAUNDRY カウンセラーの村本大志です。

二日続きの夜の小雨でだいぶ桜が散ってしまいました・・。

カッパドキアを舞台にした『雪の轍』というトルコの映画のワンシーンにこんな下りがあります。

「悪に抗わないとはどういう意味だと思う?解釈を聞かせて。論理的な定義を聞いているのよ。」
妹に、そう聞かれた初老の男はこう答えるのです。

「 論理的枠組みにおいて無関心でいること 」

薄暮から夜へ移ろうとしていた時間に、世田谷駅から梅が丘に向かう一本道を自転車で走っていました。
昼間の温かさが嘘のように急に冷え込み、花冷えというのかな・・などと思っていたとき、前方の歩道に小さな男の子が見えました。
広い歩道の真ん中にぽつんとひとりです。親らしきひともありません。
前を走る数台の自転車は皆通り過ぎていきます。
一瞬、自分にしかこの子は見えていないのじゃないかと思いました。
それくらい周りはその子の存在を無視していたのです。誰も振り返りもしないし止まらない。
自転車が近づくにつれ、その子がちゃんと実在して、泣いているのがわかりました。
僕は余計に自分にしか見えてないとの思いが強くなります。
だって、5歳か6歳かくらいの子どもが暗い夜道でひとりで泣いていたら停まらないまでもすれ違いに少しくらい振り返りませんか。

その子の横で自転車を停めると「どうしたの?」と聞きました。
その子は泣きながら「帰ってくるなと言われた・・」と言いました。
「そうかぁ、それは困ったね。お家は近いの?」
「うん・・」
「ママは?お家までの道はわかる?」
「うん・・」
「じゃぁ、大丈夫?ひとりで帰れる?」
「まだ帰ってくるなって言われた・・」
なんか嫌な予感がしてしまいました。
いくつかのパターンをシュミレーションしながら、間が持たずに「飴、食べる?」と聞きました。
鞄の中にレモンドロップがあったから。
その子は小さく頷きます。
僕が箱から一粒出して取らせてやると、その子は恐る恐る飴を取り出しました。送っていくか・・と思いかけていた時、かなり後ろの方から「そこのひとーっっ!」という子どもの声が聞こえました。少年がすごい勢いで走ってきて「何してるんだ?」と言うのです。
泣いていた子のひとつふたつ年上でしょうか。
「ひとりで泣いていたから、どうしたのって聞いたんだよ」というと、なぜかすごく僕に対して怒っているのです。僕のあげた飴にも怒り、それを食べた(すごい勢いでぎゅっと握りしめた小さな飴を口に隠すようにして食べた)多分、弟にも全力で怒っています。
まるでひとり言の大声のように「知らない人から食べ物をもらうなんて!」と子どもらしい遠慮のない生っぽい言い方で、オーバーに天を仰ぎ、地団駄を踏みます。

僕は少々、その子の言い分に腹が立っていました。
だったら弟の面倒くらいちゃんと見ておけよ、と。

やがて、後ろの方から「すいませーん!」という母親(多分)の声と猛スピードの自転車がやって来るのが見えました。
僕は「大丈夫でーす!」と手を振り返して、じゃあね、とふたりを残して坂道に向かいました。

多分、僕は「虐待」を想像し
兄と母親は「誘拐」を想像し

それぞれ善意ではなく悪意寄りの事態を想像していたのです。

テレビのニュースで繰り返される子ども絡みの嫌なニュースに洗脳されているから。

そして、それが特別なニュースではないと知っているから。

暗くなりかけた街灯の少ない道で子どもがひとりで泣いている時・・それを偶然通りがかって見かけたら、2016らしい大人の振る舞いってなんだろう?そんなことを考えながら坂道を上りました。

多分、僕はあの子に余計なことをしたのでしょう。

間をつなぐのに飴をあげました。
母親にその子のことを怒らないでくださいね、と言わずにその場を去りました。

あの子が、あの後、母親にひどく怒られませんように。
それだけを思いました。

『 ママに、まだ帰ってくるなって言われた・・ 』

夜道で出会った泣いている子どもに、そう言われたら、あなたはどうしますか?

アンガーマネージメントができるならいいけど・・

こんにちは。
心理相談室 LAUNDRY カウンセラーの村本大志です。

桜が満開です。
今日の小雨で早く散らないと言いなと思っていたら、雨が上がりました。
まだ大丈夫ですね。

アンガーマネージメント、ここ数年よく耳にする言葉です。

みなさんは怒りの感情とどう向き合っていらっしゃるでしょうか。

ここでは他者への怒りと自分への怒りと分けて考えてみたいと思います。

まず他者への怒りですが、これはある意味感じるのは仕方ないことですよね。
相手への怒りの理由はたいてい価値観・価値基準の違いが原因です。
それが全く同化するなんてあり得ませんものね。

目の前で起きている不快な出来事(それが仕事上であれ私生活であれ)に怒りの感情が起きるのは当たり前なのです。
自分と違うからです。

でも、自分と他者は違うのだから仕方ない・・と割り切れることばかりではありませんよね。
僕もそういう局面にたまに出会います。

そういうとき出来事に対して『私の内面』は『怒っている』だけど『私の外面』は『怒っていない』と演ずるといずれ相当なストレスが溜まってきますが、その場は荒れませんし、もしかしたら『怒らないいいひと』という評価が得られるかもしれません。

では怒りを感じた『私の内面』はどこに向かうのでしょう。

蓄積された『怒りの感情』はいずれどこかに霧散するのでしょうか。

人によるのかもしれませんが、すぐにゼロにするのは難しいのではないでしょうか。

かといって、ずっと怒りの感情を引きずっていれば精神衛生上かんばしくありません。

ひとつは時間が解決するのを待つという手がありますよね。
人間は忘れる動物。大抵のことは忘れるし、細かいことは全ては覚えていません。
ただそれには三日の人もいれば、三ヶ月のひともいるだろうし、何年もかかることだってあります。

一年に一回くらいしか怒らないのならそれでもいいかもしれませんけど
そうもいかないひとはどうしたらいいのでしょうか。

そもそも怒られないって相手にとってどうなんでしょうか。

考えていくとキリがありません・・。

逆説的ですが『怒ったふり』を演ずるのはどうでしょう?
このとき大切なのは『怒っている内面』をそのまま出すのではなくて『怒っている自分』を客観的に演ずることです。例えば、彼氏が浮気したとします。当然、あなたは怒りますよね。当たり前です。暴れたいですよね。当たり前です。それを無理して『怒らない』なんて不自然です。しかし、その怒りの感情を感じたピークで『怒る』と損かもしれないのです。ちょっと間を置く、一日でもいい、それから『怒る』のです。その間は『私はあなたの浮気を怒っている』というメッセージが確実に伝わっている時間です。私は直接は怒ってはいません。しかし『怒りの感情』は相手に伝わっています。その間にじっくり冷や汗をかいてもらってから、私は怒っているし、傷ついたとはっきり伝えるのです。相手を非難するのではなく、私はこう感じているということだけを伝えます。

メールなども即返信するのではなく、文章は書いてもいいから、一日保存し、翌日読み返してから送るようにする。これも案外冷静になれます。

なんていうのも、ひとつの方法かもしれません。

アンガーマネージメントの本を読んでいると、「いやそうかもしれないけど、それはなかなかできないって・・苦笑」という文脈に出会います。

怒られて覚える・・というのは古い考え方で、褒めて伸ばす・・というのが主流なのかもしれません。

怒り方を変え、頭ごなしにいかない、対話を持つ、カラッと怒る、後を引かない、など工夫をするのも自分なりのアンガーマネージメントだと思います。

喜怒哀楽とはよく言ったもので、この四つの感情は人間らしいものです。

四つとも無理に押さえ込まないで、うまく付き合いたいですね。

言うは易し。

ですけどね。